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ヴェリーサ日乗

80年前の遺構と55年前の思い出

とりとめもなく、80年前の遺構を訪ねて55年前の記憶が蘇った話し。たまたまその見学会に応募して当たり、訪ねることに。このキャンパスには何度も入ったことがあります。昔は無料で泳げるプールがありました。最後に来たのは銀杏並木が黄葉になった頃。今日はまだ緑の葉。

帝国海軍連合艦隊が壊滅した後このキャンパスに移った総司令部。爆撃に備えて長大な地下壕を半年かからずに掘り上げた。その中と外の見学会。歩数は五千歩くらいでしたが、ヘトヘトになりました。なお地下壕の中は18度、懐中電灯で足下を照らしながら、注意して歩いたためか。高さ2Mあるから頭は当たらないが、ほぼ真っ暗で当たりそうに感じて、首すくめて疲れたか。

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その入り口に向かう途中の建物の飾り壺?、汚れと思ったら、アジアの地図でした。竣工は皇紀2594年、なかなかの建物です。建築探偵の本にも載っていなかったような。最後に訪ねた寄宿舎は谷口吉郎の設計と、驚いた。現在も使われているので撮影できません。外装は細かな正方形のタイル張り、全個室。冊子に部屋の写真がありますが、調度付きで、窓が広く明るい、床暖房。今でも通用する作りです。その円形大浴場 称してローマ風呂 の詳細まで語ると長くなる。

見学会を終えて一休みしての帰り道。55年前の記憶がそのままか寄ってみました。正面の体育館は建て替えられていますが。両翼の建物は先に書いた通り戦前の竣工。

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覚えている場所は、向かって左の体育館のわき。体育部の部室の建物があり、これは建て替えられていないようです。ここの前の小広場で円陣を組んで、バドミントンSK戦の反省と今後について、主将の話しを聞いた。それは55年前、ちょうど今日なら摩訶不思議ですが、調べると9月12日(日)のことでした。そのときの記憶が蘇る。

長く生きていると、先の地下壕の建設からたかだか25年後のことも頭にあるようになる。ちなみに、この地下壕は、SK戦を戦った相手校の洞窟部?の人たちが、ちょうどその頃に初めて入って調査し、文化祭で発表した。その後部員が先生にかけ合って、地下壕の整備を具申。それがきっかけとなって現在見学できるようになった。二つがつながりました。

身体も頭もヘトヘトになった、忘れないうちに載せておきます。

by ranastacia | 2025-10-09 17:03 | トリップ
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2022年11月にプロフィール後段を閉じて、忘備ともろもろの独り言に。